中河原都市開発株式会社

中河原歴史資料


中河原村所属圏域

中河原村は、室町時代前期までは吉富郷に、室町時代中期以降は関戸郷に含まれていました。

中河原村は、江戸時代には日野領に含まれていました。ちなみに、中河原村の東西隣の四ツ谷村と是政村は府中領でした。


中河原村範囲

明治22年に合併で西府村になった頃の中河原村の範囲が、いろいろな方のご協力を得てわかってきました。その範囲を、国土地理院の地図に描いてみました。現段階での最新情報です。

江戸時代後期の周辺村落

江戸時代(1603-1868)後期1830年作成の新編武蔵風土記稿の絵図から、中河原村周辺の集落の名称です。

江戸時代の中河原(関戸)の渡し

江戸時代(1603-1868)後期1845年作成の調布玉川惣畫圖(チョウフタマガワソウガズ)という、多摩川 の水源から河口までの風物を描いた巻子仕立ての地誌の中の中河原村(図では「中川原」村)の様子です。

江戸時代の中河原村周辺の石高

江戸時代の中河原村 の生産性、コメの取れ高(石高 〜正確には、土地の面積にコメの収穫係数を乗じたもののようですが。)を、周辺村落と比較してみました。石高は「武蔵國 郷帳 上」1834年(天保5年)、戸数は「新編武蔵風土記稿」1830年(文政13年)の数字。

明治22年西府村発足時の構成村

府中市は昭和29年に西府村、多磨村、府中町が合併しで発足したまちです。中河原駅周辺はその当時は明治22年に 中河原村、四ツ谷村、本宿村 が合併して発足した西府村 の一部。小字名地図 から見た西府村を構成していた三村の範囲。


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